26歳で飛び込んだ茶業の道
26歳で飛び込んだ茶業の道
![]() 浅川園 創設者 浅川 晟一 『大学は出たけれど』なんていう映画、もうご存じの方はあまりいらっしゃらないでしょうね。私が早稲田大学専門部政治経済科を卒業しましたのが昭和2年。ところがその年、1000人くらいの卒業生のうち、300人しか仕事に就けないほどの就職難でしてね。そんな世相を映画にしたのが『大学は出たけれど』でした。 味覚鍛錬と行商に明け暮れた修行時代
![]() 古町本店 二階 喫茶やすらぎ 入店してすぐ、埼玉県入間市にある繁田園本店に住込み見習いをすることになりました。そこで茶の手もみ、機械製の勉強をしながら、各名産地のお茶を実際に飲み味わいを覚えたり、全国の銘菓を詳しく教えてもらうなどしました。 夫婦二人三脚で苦境を乗り越える
![]() 昭和25年、古町7番町の店舗にて 昭和11年、大病したのをきっかけに仙台繁田園を辞め、独立することになりました。昭和9年には結婚をしておりましたので、家内とふたりでの再出発です。全国的にみてどこが適地かと群馬や長野、新潟、福島と、候補地を転々と見て回りましたが、当時、日本の国策として東京・新潟・満州ルートの開発が練られており、新潟は必ず発展するだろうとにらんで新潟に決めました。 ![]() 昭和33年、新茶の季節の古町本店 そんな状態で私はほとんど店にいませんでしたから、「今度新しくできたお茶屋は、未亡人がやっているのか」と噂を立てられたほどでした。 お客様に教えられ、商売の道を知る
その後、厳しい戦火のもと徴用され一時休業しましたが、終戦直後から茶業に励むことができました。 |
「お茶の正しいあり方」と向き合う
「お茶の正しいあり方」と向き合う
![]() 浅川園 代表取締役社長 古舘 邦彦 ここ数年、浅川園で「とくめ」と人気を二分している商品が、無農薬・有機栽培茶の「ゆうき」です。 有機JAS法の施行で、 より確かさのある商品に
![]() 無農薬・有機栽培生産者の茶畑にて 私自身、数年前から無農薬で自給自足の生活をしていますが、農薬を使わない栽培というのは米でも野菜でも大変な手間と苦労があります。そういうことからお客様も「無農薬・有機栽培のお茶は手間賃が高い」と思っておられるようですが、実は農薬や化学肥料代金を考えれば、同じ程度の価格なのです。 この春、有機JAS法が施行され、浅川園の契約農家の方々がいち早く有機食品の認定を受けました。そしてまた安全・安心なお茶づくりに誇りを持った跡取りが、それぞれの農家を心強く支えている・そういう喜びを作り手とともにわかちあえるのは嬉しいですし、これが本当の商売かなとも思っております。 無農薬・有機栽培のお茶はやっぱりおいしいと評判ですね。60代以上のお客様からよく「懐かしい味がする」とご感想をいただきます。これからもっと産地や種類も増えていく予定ですので、それぞれの味をぜひご堪能いただければと思います。 |